大阪は、一種独特でした。
多分、私がいろいろな意味で馴染めなかったのだと思います。
大阪には、結局、約1年勤めて退職する事になりました。
この会社は、基本、商社ですから、お客様が望む事でしたら、何を売ってもいいと言われていました。
だから、仕事の中心になるのは、お客様との会話なのです。
お客様の所を定期的に訪問して、今、何に困っているのか。
どういう情報を欲しがっているのか。
設備投資の予定はないか。
来期の予算はどんな感じか。
等々の情報を拾い集めていきます。
情報の収集先は、主に、客先の工場の中です。
背広を来て工場の中をウロチョロする訳にはいきませんから、背広を脱いで、代わりに作業着をはおり、ヘルメットをかぶり、安全靴を履いての営業活動です。
自動車製造ラインの横を歩きまわって、製造の担当者とお話しをしたり、メンテナンスを担当されてる方から情報をもらったり。
また、事務所に行って生産技術の方々と情報交換をしたり。。。
そういって集めた情報の中から、自社の商材の種になる様なものをピックアップして、仕様書や見積書を作成したり、メーカーを見つけてきたり、という様な事をやっていました。
私が提案した設備をお客様が予算取りをして、設備を採用する段階になったら、今度は、購買とのやり取りが始まります。
当然、複数の業者と合見積りになりますから、見積りに関する様々な情報を集めてきて、できる限り高く、そして、他社より安くネゴしなければなりません。
当時のノルマ数字は、「粗利」でしたから、売上はより高く、仕入はより安くが至上命題でした。
そして、見事受注したら、今度は、設備の製作に入ります。
ほとんどが、外部の会社に頼んでましたから、発注先と得意先と仕様の詰めを行っていかなければなりません。
同時に、納期の管理もしなければなりません。
そして、設備が出来上がったら、今度は、搬入・据え付けです。
当然、ラインが止まっている土日か、長期休暇のゴールデンウィーク、お盆休み、年末年始に搬入となります。
我々営業マンは、この設置工事の際に現場監督として、立ち会わなければなりません。
当時この会社には、有給休暇という制度はありましたが、有給休暇を消化するという企業風土ではなかったので、この会社の営業マン(特に若い)は、休みがほとんどありませんでした。
広島にいた時は、客先の休憩所で「箱根駅伝」を見ながら休憩をしていた事もあります。
そこで、自分の従兄弟が走っていたのを見た時はビックリしましたっ!
設備を設置した後は、実際にラインを動かす月曜日に立ち会って、稼動を確認。
その後、得意先の担当者の検収確認があって、初めて、検収。
そして、支払期日に代金を回収。
ここまでやっていました。
今、思うと本当にビジネスのイロハ全てを日々経験させてもらったと思います。
当時は、そんなふうには思っていなかったですけどね。
それと、一番、感謝しているのは、「お金」に関する事です。
この会社の営業マンは、お金の管理を厳しく言われます。
お金とは、
まず、基本的な所では、
受注金額、仕入金額、当然「粗利」。
設備を手配する際、一社の外注先だけでない場合も多々あります。
例えば、メインの機械をA 社。その機械を動かす為の制御関係をB電機、ラインに設置する際のC運送、設置工事をする際に火花が出る様な工事の場合は、火の番の為に警備会社にお願いする場合もあります。(お客様によってはこれが必須の場合があります)
あるいは、遠方から出張で来られる外注先の場合は、宿泊の手配やレンタカーの手配といった事もやります。
で、当然、全てにお金が関わってきます。
このお金の管理は、全て担当の営業マンが行います。
つまり、一つの設備を受注すると、一つのプロジェクトが立ち上がり、その内容の打ち合わせ、スケジュール管理、費用管理その全ての面倒を見ていく訳です。
この経験は、その後の仕事の中で本当に役に立ちました。
今思うと、この頃の経験はその後の仕事の為にあったのではないか、と思えるほどです。
この会社に勤務した約9年間は、本当に大変でしたが、今思えば全て懐かしい想い出です。