そういえば、世界で初の設備を入れたのもこの頃です。
あるメーカーさんの機械なのですが、「レーザー溶接機」というものを売り込みに行ったら、これが結構反応が良くて、あれよあれよという間に1台売れ、
さらにもう1台売れました。
1台、数千万円の機械です。
車のある部分を溶接する為の機械なのですが、この頃は世界でもこのやり方で溶接するカーメーカーはなかったそうです。
また、新設のラインに大きな搬送機を入れた事もあります。
これも数千万円の仕事でした。
過去の経験がありましたから、もちろん、打合せ当初からしっかりと記録を取って、キッチリ段取りを踏んで仕事を進めたのは言うまでもありません。
ある年の1月頃だったと思います。
家内から、驚きのニュースが・・・
「赤ちゃんができたみたい。」
実は、私たちは子供ができにくい夫婦なのです。
なので、ある時期から、必要とされる対策をしていました。
それでも、なかなか結果が伴わず、諦めかけていたのですが。。。
もちろん、手放しで喜びました。
しかし、喜びの報告から約1ヶ月後。。。。。
家内からある言葉が告げられました。
「切迫流産だって。」
(切迫流産=「流産未遂の状態」)
妊娠がわかってしばらく経ってから、家内がお腹が痛いと言い出して心配していたのですが、その心配が本当になってしまいました。
とにかく安静にしなければいけない、という事でしばらく入院する事に。
しばらくは容体も安定していたのですが。。。
ある日、尾道のお客様の所に会社からの伝言が届いてました。
「石井さん、奥さんが病院に電話して欲しいって。」
悪い予感が走りました。
病院に電話を入れましたが、誰も要領を得ません。
はやる気持ちを抑えて、山陽自動車道を病院に向けて運転し始めました。
なんの因果か、ちょうどその日は、私の誕生日。
本来であれば、どこかへおいしい物でも食べに行きたい、と思っていました。
時間は夕方の6時を回っていました。
あたりは暗くなり始め、間が悪い事に雪が降り始めていました。
「何がどうなってるんだ?」
家内が今、どんな状態でいるのか全くわかりません。
とにかく、雪がちらつく山陽自動車道を家内が待つ病院に向かって走り続けました。
病院について、医者から言われた一言。
「誠に残念です。」
流産でした。
家内の無事な顔を見て、ホッと一安心。
その日は、一人で家路につきました。
翌日、会社を休んで家内の元に。
家内の気落ちは相当なものでした。
この日の晩、初めて家内の前で涙を流して泣きました。