楽天に出店する1、2 年前だと思います。
ソフトバンクとお酒の通信販売をやっていたのです。
当時、ソフトバンクはパソコン雑誌を発行したり、ソフトを販売したりしている会社でした。
ソフトバンクが発行しているパソコン雑誌の付録のCD-ROM にお酒に関する情報を入れ込んで、販売してみよう、という事をやったのです。
当時は、インターネットそのものが一般的ではなかったので、CD-ROM でお酒を見て頂いて注文書をFAX してもらうというやり方をしていました。
(今、考えるととても稚拙な方法ですが・・・)
これが、全く、売れなかったのです。
パソコン雑誌の発行部数は、約30万部。
という事は、30 万枚のCD-ROMがお客様の手元に届いているはずなのですが・・・
その中の1%の方が買われるにしても、3,000 件程度の注文が来てもいいはずです。
それが・・・・・
この時は、正直、ガッカリしました。。。
一方、もともとのビジネスモデルで展開していた商売の方はというと。。。
当時は、「規制緩和」が叫ばれていた時代。
お酒の世界も「免許」に守られていたのが、規制緩和の波に乗って、「酒類販売免許」の取得が徐々に緩和され、この会社が取引先にしていた町の酒販店さんは軒並み経営が悪化。
酒類の市場も、大手の流通にとって変わられていきました。
それならば、と。
社内のコンピューターシステムを一新。
この時、「補助金」を活用しました。
当時勤務していた会社の社長は、この地酒の流通システムとは別に、岐阜県観光物産センターという組合を組織していました。
この組織の中で、初めて「補助金」に触れることになります。
そして、後々、私の仕事の中でこの「補助金」というものが、かなりのボリュームとなって関わってくることになります。
最初の「補助金」は、申請そのものは横浜の「中小企業診断士」の方が担当されました。
私は、この補助金を実行していく上での事務局の役割を担いました。
具体的には、「補助金」を活用して執行する「予算管理」及び「経理書類の整備」を任されました。
「補助金」のお金の管理は、一種独特のものがあり、なおかつ、とっても細かな部分まで書類を整備していかなければいけません。
例えば。。。
「本委員会」と「ワーキング委員会」というものを設定して、それぞれの委員会の中で、補助金の成果物(この時はシステム開発)に向けて議論をしていく、という形を整えていかなければなりません。
まず、それぞれの委員会の委員としての「委嘱」をしなければなりません。
委員のお一人お一人に対して、「委嘱状」を用意し、委員からは「委嘱受託書」を返送してもらいます。
委員会の時には、各委員の出欠席を確認して、「旅費」を用意して、旅費の「領収証」を用意します。その際の「旅費」の算定にも決め事があり、勝手に旅費を設定することができません。
各委員会では、資料を配布します。
この資料に使用した「紙」の枚数を管理しておかなければなりません。
「紙」の費用も補助金対象となります。
委員会が終了した後は、「議事録」を用意して各委員に送付しなければなりません。人数分用意して、郵送で送付します。
その際の「切手代」も補助金対象になりますので、何枚使用したかを毎回管理しておかなければなりません。
ここまではあくまで一例です。
こういった細かなことの全てに「証拠書類」をそろえて、予算内に納まる樣に全体を管理していくのが、補助金事務局の仕事でした。
この時は、本当に苦労しましたが、後々、この時の経験がもの凄く活きてくることになります。
2回目の補助金は、申請から最後のまとめまで、全て、私が対応しました。
この時は、「全国中小企業団体中央会」で、補助金としても約3000万円を頂くというとても大きな物でした。
申請書類を作成して、プレゼンに社長とともに東京まで足を運び、プレゼンの際の審査員の反応に、「ダメだ」と思っていましたが、幸いなことに採択され、無事、「システム」を構築することができました。
この時の補助金のおかげで、社内のシステムを一新することができ、大手の流通とも取引ができる様に、電子商取引が可能なシステムを導入しました。
同時に、地酒の提案をして、ある大手流通チェーンに食い込むことに成功。
一時は、そのチェーン店だけで年間1 億円以上の売上がありました。
この売上をさらに伸ばすべく、今度は、真剣に日本酒の販売に取り組んでいる蔵元数社と一緒になってマーケティングの勉強と、共同で商品開発をしていく研究会を組織。
この関係での売上を強力に進めようと頑張りました!!
しかし。。。。
歯車が狂い始めたのがこの頃からのこと。
私の上司である社長が、この研究会の取り組みに疑問を持ち始めたのです。
この頃、この社長の事は、正直言って経営者としての素養に疑問を持っていました。
(私の考えが浅はかだったのですが・・・)
論理的ではないし、理不尽な朝令暮改はいつものことだし・・・
(繰り返します。私自身が幼稚だったのです)
それでも、この社長についてきたのは、その独特の「勘」を信用していたのです。
それまでにも、社長と私は、仕事の進め方や考え方でぶつかる事がありました。
大概は、社長の意見が通るのですが、それでも、「勘」で物事を判断する社長に疑問を感じていたのも確かです。
でも、結果的には、ほとんどのケースでこの社長の「勘」が当たるのです。
社長に従っていてよかった、と思ったことが何回もあります。
だから、この時もそのことを思い出せばよかったのですが。。。