当時、広島は、「営業所」でした。
東京は「支店」だったので、それに比べると規模が小さいお店でした。
東京には、
支店長。
営業マンが約15人。
技術系の社員が3人。
業務の男性が2人。女性が2人。
総勢約20人。
しかし広島は、
所長。
先輩が2人。
事務員さんが1人。
全所員5名のこじんまりしたお店です。
東京では、一応、「寮」があって「寮母」さんもいました。
寮母さんは、掃除をしてくれます。
寮母さんは、朝晩のご飯をつくってくれます。
毎週金曜日は、「カレーライス」。
これが結構、楽しみでした。
広島にも、一応、「寮」があります。
しかし、「寮母」さんはいません。
掃除は自分でするしかありません。
朝晩のご飯も、自分で考えなければなりません。
しかも、事務所の上がその「寮」なのです。
通勤時間は、約30秒。
3階から2階に降りるだけ。
1階は、車庫 兼 倉庫。
東京では、倉庫の管理は業務の方がやってくれてました。
広島では、倉庫の管理は一番下っ端の私がやらなければなりません。
商品の入出庫は、全部私の仕事。
もうとにかく何から何まで全部自分でやらなければなりません。
ただ。。。
こういった経験は、とても勉強になりましたし、後々、とても役に立ちました。
結局、広島にはこの後、5年いる事になります。
東京で社会人としての基礎を学び、遊びも学びました。
広島ではビジネスの基礎を学びました。
広島は、この会社の中で一番思い出深い土地です。
結婚したのも広島にいた時です。(嫁さんは愛知県の人間ですが)
当時(1988年から1993年)、時代はバブルに駆け上る頃。
私自身がバブルを謳歌した記憶はありませんが、仕事そのものはとても忙しかったです。
当然、客先も設備投資の嵐。
そんな中で、様々な仕事を経験しました。
それまで、手を出してこなかった仕事に先輩が手を出し始めたのです。
その仕事は、製造ラインの一部設備を請け負う仕事。
とても大きな仕事です。
その仕事を受注したまでは良かったのですが、今度は納期に問題が。
倉敷の会社にその仕事を発注していたのですが、受注当初から納期が問題になり、その調整で石井は右往左往。
注文を受けてきた先輩は、ただ指示を出すだけ。
そんなこんなの中で、今度は、その先輩が異動になってしまいました。
転勤です。
先輩が異動になった後は、私が、その仕事を完全に任されました。
気が付くと、受注金額は 1億 を超えていました。
これだけの金額の仕事を、ほぼ一人でこなさなければなりません。
しかし、受注当初から様々な問題が山積しています。
後になってわかったのですが、先輩が受けた仕事は、ほぼ口約束のみで一部の注文書しか発行されてなかったのです。
その注文書の仕事すら、様々な問題が起こってお客様がなかなか検収を上げてくれません。
そうこうするうちに、今度は、追加の仕様が出てきたりして、またまた、見積り。
で、結局、気が付いた時には 1億 を超えていた、という訳です。
このお客様は、とても大きな会社なので、しっかりと筋が通ってさえいればお金を支払ってくれる会社です。
しかし、先輩が動き回っていく中で受けた仕事。
もう、中身はグッチャグッチャの状態でした。
この頃です。
電気工事の職人さんが足らず、遠く愛知県の職人さんに通常の工賃の倍以上のお金を払ってきて頂いた事があります。
今思うと本当に信じられない時代でした。
やがて、会社の中で問題になり始めます。
「石井が 1億 の金を焦げ付かせたらしい。」