あずきプランニング

自分ストーリー 2015.9.25

4. 小学生:とても出不精

私の父親は、とても『出不精』でした。

出不精

 

子供の頃から、それなりにいろいろな所に連れていってもらいましたが、そのほとんどが家族以外の人と一緒でした。

逆に言うと、家族だけの旅行というのは、あまり経験がありませんでした。

 

家族旅行で思い出したことがあります。

 

1970年3月14日から9月13日。

大阪で「万博」が開催されました。
私が小学校3年生の頃のことです。

 

大阪 万博

 

子供の頃から新し物好きな私は、もう行きたくて行きたくてしょうがありませんでした。

 

太陽の塔、アメリカ館の「月の石」、ソ連館、オーストラリア館。。。。。

 

見てみたいパビリオンが目白押しです。

 

私の父親は、とっても『出不精』でした。

 

結局、2回だけ連れていってもらったのですが、その2回とも家族だけで行った訳ではありません。

 

父の会社の関係の方に引っ張られるようにしてでかけたのです。

 

それも、日帰りで。

 

なおかつ、父は会場に着くなり、ろくにパビリオンを見ることもなく、早々にレストランに陣取り、酒を飲み続けていました。

 

当然、見たかった「太陽の塔」や「ソ連館」「オーストラリア館」に行ける訳もなく、あれほど見たかった「月の石」も見ることができませんでした。

 

行列に並びたくなかったんです。

空いているパビリオンを数箇所回っただけだったのです。。。

 

そんな父ですから。

 

当然、スキーも自分から行く、と言う訳もなく・・・

 

父の仕事関係の若い方々に連れていってもらう、という感じでした。

記憶では、父親はゲレンデにある食堂に陣取り、そこで一日中お酒を飲んでいたように思います。

(万博の時と同じ・・・)

 

私は、なにしろ、初めてのスキーだったので、はしゃぎまわっていました。

 

さすがにリフトには乗せてもらえませんでしたが、緩斜面を登っては滑り、登っては滑りを繰り返していました。

多分、小学生の頃に3回ほど連れていってもらったと思います。

 

実は、次にスキーを経験するのは社会人になってからなのですが、ブランクが10年以上あったにも関わらず、なんとか滑ることができたのは、この頃の経験のお陰です。

 

そういえば、スケートを覚えたのもこの頃のことです。

 

小学1年生の1月にはじめた「そろばん」は、結局、小学校を卒業するまで続けました。

 

そろばん

 

その「そろばん塾」は、夏合宿があったのですが、冬には、純粋に遊びを目的にした電車旅行に連れていってくれました。

長野県や草津温泉に連れていってもらいました。

 

草津温泉

 

この長野県に行った際に、「白樺湖」で生まれて初めてスケートをしました。

それまでに、「スキー」は経験していたのですが、「スケート」というものを経験したのはこの時が初めてでした。

しかも「天然リンク」で!!

今、思えばゼイタクな経験をさせてもらったものです。

 

そうそう。。。

 

唯一、父が率先して連れていってくれたところがありました。

 

 

「小豆島」です。

 

 

瀬戸内に浮かぶ島の中では、淡路島に次いで2番目に大きな島です。

 

父は、小豆島で7人兄弟の6番目に4男として生まれ、高校卒業まで過ごしました。

 

子供の頃の記憶では、毎年1回は里帰りしていたのではないか、と思います。

 

小豆島には、父以外の兄弟は全員住んでいましたので、私の従兄弟も何人かいました。

 

今思うと、父は毎年一回、兄弟がいる小豆島で命の洗濯をしていたのではないか、と思います。

 

小豆島に帰ると、従兄弟連中と海に山に、虫捕りにと走りまわるのが楽しみで、毎年夏休みに連れていってもらっていました。

 

父は小豆島に行くことだけは嫌がらないのです。

 

父の実家の近くには、ほとんど誰も泳いでいない海岸があって、夏休みに小豆島に行くとほぼ毎日そこで泳いでました。

 

 

プライベートビーチの樣なところでした。

 

 

 

泳ぎ疲れて帰ってくると、井戸水を浴びて塩水を落とし、そのまま縁側に座って井戸で冷やしていたスイカにかぶりつく。

 

夜は夜で、従兄弟の家に泊まらせてもらって、はしゃぎまわる。。。

 

本当は、夏休みの間中、小豆島にいたかったのですが、さすがにそうもいかず、1週間から2週間程度の田舎暮らしを満喫していました。

 

今でも懐かしく、楽しかった思い出です。

そして。。。

6年生の冬。

 

その後の私の人生を大きく左右する「ある出来事」が起こります。

 

この年の冬。

 

たしか、長野県に連れていってもらったと思います。

 

その帰りの電車の中で、そろばん塾の先生と中学に進学した後の話になりました。

 

私の中では、そろばんは小学校で終わりで、中学生になっても続けるつもりはありませんでした。

 

しかし、その時、言われたのです。

 

 

「トーカイに行くのなら、そろばんを続けなくてもいいけど、公立に行くのなら続けろ。」

 

 

と。