あずきプランニング

自分ストーリー 2015.10.16

7. 高校:クラブ活動

昭和52年。

無事、高校生になりました。

 

東海高校

 

 

東海は、中学から高校へは自動的に上がれます。

 

高校に入ってすぐの頃。
1年生だけが講堂に集められて、ある会が始まりました。

 

「クラブ説明会」

 

そんな名称だったかどうか、記憶は定かではありませんが・・・

 

とにかく、先輩方が講堂の壇上に立ち、自分たちのクラブのPRをする会でした。

文系から体育会系まで。。。

 

私は、「放送」というものに憧れを持っていました。

 

 

小学校の頃のことです。

放送委員だった私は、お昼の給食の時間に「放送」を行っていました。

 

当時は、お昼の時間はお知らせや、童謡を流す程度の放送を行っていました。

 

放送委員になる前から、この「お昼の放送」のことを「つまらない」と思っていました。

 

なんでもっと楽しい音楽を流さないんだ。
なんでつまらない「お知らせ」しかしないんだ。

 

そう思ってました。

 

6年生のある日。

自宅から、あるレコードを持って放送室に入った私は、おもむろにそのレコードをかけました。

学校中のスピーカーから流れてきた音楽は、

 

 

 

ご存じない方が多いかもしれませんが。。

 

1970年に発売になった曲で、ミリオンヒットになった曲です。

 

途中、早口で競馬の実況中継をする箇所があるのですが。。

 

私は、この曲が大好きで。

 

途中の実況中継の所を丸暗記していました。

この実況中継を放送でやってみたかったのです・・・

 

・・・・・・

 

放送後。

 

こっぴどく叱られました。^^;

 

なんで、あんな思い切ったことをしたのか。

今でもよくわかりませんが。。。

 

というエピソードを持っているほど、「放送」というものに興味がありました。

 

中学生の頃は、自宅でDJの真似事をしたりして、遊んでました。

 

当然「東海高校」にも、放送部はありました。

 

クラブのPRにも出てきていたと思います。

でも。。。

 

結果的に、放送部には入りませんでした。

 

何故か。

 

この日、あるクラブのアピールに後頭部を殴られたくらいの衝撃を受けたからです。

そのクラブの紹介には、2年生の先輩が3人出てきました。

(2年生のクラブ員はこの3人だけ)

 

そのうちのお一人が、とてもよく通る素敵な声で、朗々と自分のクラブの説明を始めたのです。

 

この先輩の「声」と堂々たる「姿勢」に心を打たれました。

 

その時に、決めました!!

 

「このクラブに入ろう!!」

 

それが。。。

 

「弁論部」だったのです。

 

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