大学を卒業してから約9年間。
第一線の営業マンとして働いてきましたが、数字に追われるような仕事はいやだと思っていました。
営業マンに数字はつきものですから、この想いは矛盾しています。
しかし、大阪に転勤して、その想いは強くなっていきました。
そして・・・・・
「退職」を決意します。
大阪は、この会社の中でも名古屋の本社、東京支店の次に大きなお店です。
当然、それなりに社員の数がいます。
社員の数が多いということは、同僚もたくさんいますが、上司もたくさんいます。
東京で約3年。
広島で5年間。
様々な経験を積んできました。
バリバリの営業マンとして、それなりの自負がありました。
しかし、相変わらず数字に追われることがしっくりきません。
当然、上司から厳しい追求の手が伸びてきます。
それと。。。
家内のお父さんが亡くなったのもこの頃の事です。
私は、残念ながら仕事の都合でお義父さんの最期には立ち会えなかったですが、家内は幸いなことに看取ることができました。
自分に近い身内の「死」を、この時、初めて経験しました。
身内の「死」は、亡くなられた後、様々な事柄を呼び込みます。
それまで全く接点のなかったお義父さんの親戚縁者にお会いすることになります。
お義父さんの死から経験した数日は、それまでの自分の人生の中で経験してこなかった事でした。
ただ・・・
後に、この頃の経験が少しだけ生きてくるのですが・・・
自分の中で様々な想いが重なり、いろいろな感情が駆け巡り、このままこの会社で続けることに限界を感じ、決断の日を迎えました。
大阪に転勤して約1年。
9年間お世話になったこの会社にお別れです。
1994年9月の事でした。
「退職」が正式決定した頃から、「次」を本格的に考え始めました。
それまでの経験から、「次」は「営業」ではない職種を模索していました。
当時は、「Bing」という転職雑誌があって、毎号毎号、目を皿の樣にして読みまくっていました。
当時は、今の樣にインターネットが普及していませんでしたので、転職に関する情報は「Bing」に頼るしかありませんでした。
転職を斡旋する所にも相談に行った事があります。
しかし、そこで言われるのは必ず、
「前職の経験を活かし営業で・・・」
というお話しばかりです。
当時32 歳。
仕事の方向性を変えるにはギリギリの年令だったと思います。
そんな日々の中で、偶然見つけたのが、Bing の一面広告。
「社長の片腕募集」
のうたい文句でした。