中学の3年間は、クラブ活動に一生懸命になった訳ではなく。。。
学校以外では、YMCAに週4回通ったのと、あと、「水練会」の記憶が残っています。
YMCAでは、年に一回、「英語スピーチコンテスト」がありました。
各クラスの代表が、英語の教科書の一節を暗記して、大勢の観客の前で暗唱するのです。
私ともう一人が代表になりました。
教科書の一節を暗記するのは、当時の私にはそんなに難しくなかったです。
発音もそれなりに自信がありました。
「楽勝!!」
正直、そう思ってました。
コンテスト当日。
想像以上に多くの方々が集まってきました。
中には、明らかに「外人さん」もいらっしゃいます。
それまで、「外人さん」にほとんど接したことのない私は、このあたりからビビリ始めます。
私の番が来ました。
スピーチをする壇に立って、前を見た瞬間。。。
頭の中が真っ白になりました。
私を見る目。
私を見る目。
私を見る目を、見ることができません。
心臓はバクバク。
頭の中は真っ白。
前を向くことができず、天井を見続けました。
あれだけ完璧に覚えた教科書の一節も、全く、頭の中に出てきません。
その後は、もうボロボロです。
天井を見つめ、詰まりながらスピーチをなんとか終え、壇を降りる時には、もう泣きそうになってました。
こんな形で、打ちのめされるなんて。。。
それまで、順調な人生を歩んできていた私は、初めてと言っていいほどの挫折を味わいます。
「死にたい。」
生まれて初めて、そう思いました。
もちろん、一瞬、そう思っただけですが・・・^^;
この経験が後の私の人生を変えることになります。
東海中学では、1年生だけ「水練会」という名称の「臨海学校」があります。
夫婦岩で有名な三重県の二見町に約500人の男子中学生が勢ぞろいします。
しかも!!
全員が「六尺ふんどし」姿!!
ふんどしの色は、9色に分かれています。
当時、1学年9クラスだったので、9色。
クラス毎にふんどしの色が違っていたのです。
この水練会は、あらかじめ4クラスに分けられ、クラスによって、帽子の色が変わります。
白・白赤・赤白・赤
白が一番泳ぎが上手なグループ。
この「白と白赤」クラスが、「遠泳」と呼ばれる耐久レースに出場することになるのです。
「耐久レース」と言っても、何かを競う訳ではありません。
隊列を組んで、3kmを泳ぎます。
私は正直言って泳ぎに自信がなかったのですが、なぜか、「白」。
この「遠泳」は、タイムを競うというのではなく、とにかく海に浮いていれば良いというような感じだったので、「白」になったのではないか、と思います。
それと、海での水泳は、小豆島で充分に経験してましたので、海で泳ぐことそのものは全く気になりませんでした。
そうそう。。。
遠泳が終わって海から上がってくると、お汁粉が待っています。
このお汁粉、「赤福」製です。
赤福の社長が、東海のOBらしいのです。
そういえば、宿で「赤福」の注文書が回っていたように思います。
帰る日に、「赤福」が大量に届いていたのを覚えています。
そして。。。
この水練会。
普通の東海生は中学1年の時に一回だけ経験するのですが。。。
私は何故か、中学3年と高校1年の時にも経験することになります。
水練会には、もちろん先生方も引率として同行されていたのですが、同時に、「助手」として何人かの上級生も同行しておりました。
何故か、その「助手」に選ばれたのです。。
いまだに、何故、選ばれたのかわかりません。
特に中学3年の時は、クラブ活動もやっていなかったし、成績も芳しくなかったし。。。
えっ?
その時も「ふんどし」だったのかって?
いやいや、さすがにそれはマズイでしょぉ。。。
普通の水着を着ておりました。。。
[…] 中学の頃の苦い記憶。 […]