12. 大学:3分間スピーチ

ということで、入ったサークルは。。。

 

「放送研究会」(*^_^*)

成蹊大学放送研究会 部室にて

 

 

 

もともと、「放送」というものに興味があった事もあるのですが。。。

 

このサークル。
結構、大所帯で、40人以上が在籍していました。

 

で、決め手になったのが。。。

 

「女子が半分!」

 

重要でしょうっ!

しかも!!

 

昨年度の「ミス成蹊」が先輩!!

 

こう書くと、なんだか「女子目当て」みたいに思われるかもしれませんが・・・

 

決して、そういう訳ではありません。。。

 

当時の成蹊大学放送研究会は、「音」。

 

番組制作は、「ディスクジョッキー」「ラジオドラマ」「ドキュメンタリー」

 

でした。

 

入部したばかりの1年生は、1年生パートと言って、基礎を学びます。

 

発声練習。
ディスクジョッキー番組の作り方。
ラジオドラマの作り方。
ドキュメンタリーの作り方。

 

例えば。。。

 

ディスクジョッキーは、成蹊大学(SBC)では、「ワンマンタイプ」というやり方をしていました。

 

基本、「生放送」

 

机の上に、「ミキサー」を置き、その左右にレコードプレーヤーを置きます。

 

一人で、ミキサーを操作してしゃべりながら、レコードで曲を流しながら、片方のプレーヤーで頭出し。

自分がしゃべるマイクと、2台のレコードプレーヤーを駆使して、一人で一つの番組を創りあげていくのです。

 

これが、なかなか面白かった。

放送研究会では、番組作り以外にもアナウンスの基本も学びます。

発声練習はもちろんの事、人前で話す練習もします。

 

女性の恰好をしていますが、「男」ですっ!!(^◇^)

 

 

ある日の事。

 

その日は、3分間スピーチの日でした。

 

どんなテーマで、どんな話をしたか忘れてしまいましたが、同期や先輩方が見てる前で、私は、

 

「助けたろまい」

 

と言ってしまったのです。

一瞬の間を置いて、大爆笑!!!

 

笑われた私は、何故、笑われているかわかりません。。。

 

しかし。。。

 

その日以来。。。

 

名古屋弁を。。。

 

封印しました。。。

 

 

東京にいる時には、できる限り東京弁でしゃべる様につとめました。

 

「名古屋」は、今でこそ全国的に認知されていますが。。。

 

当時、東京ではバカにされる事が多かった様に記憶しています。。。

 

今は。

 

意識して名古屋弁をしゃべる様にしています。

 

名古屋で東京弁をしゃべると、なんだか「冷たい」感じになってしまうんですよね。

あと、気取った感じにも受け取られるし。。。

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