昭和55年。
大学に入学します。
大学には「推薦」で合格しました。
高校3年の11月頃だったと思いますが、大学で面接があり、その面接だけで合格が決まってしまいました。
面接には、同級生と2人で行きました。
同じ高校からは、2人分の枠があったのです。
今でも覚えています。
高校3年の2人が、新宿の「プリンスホテル」に泊まりました。
夜は、このホテル内のレストラン。
たしか。。。
お酒も頂いたと思います。。。
あの頃は、「バレナイ」だろうと思っていましたが。。。
今思うと、明らかに高校生に見えたでしょうね。
でも、レストランの人は、黙ってお酒を出してくれました。
初めて訪れた大学。
吉祥寺駅から歩いて約15分。
閑静な住宅街の一角に、欅並木(けやきなみき)に囲まれたおしゃれなキャンパス。
「成蹊大学」です。
この大学は、こじんまりとしていて自分の中ではとても親近感がわいていました。
なぜ、この大学の推薦入試を受験したのか。。。
いまだによくわかりません。。。^^;
面接は、ほぼ形だけの様で。
無事、合格しました。
友だちには、無茶苦茶うらやましがられました・・・
実は、当時、彼女もいて。。。
高校3年の終盤は、遊びまくっていました。。。
自動車学校に通ったり。。。
彼女とデートしたり。。。
高校を卒業するまで、親元を離れたことがありません。
名古屋市内で生まれて、小さい頃の一時期、大阪に住んでいましたが。。。
ずぅっと、名古屋で過ごしました。
たしか上京する少し前だったと思います。
ある晩。
父親が言いました。
「親子の別れだ。」
夕食の時、東京に行く準備をしていた私に、晩酌をしていた父がいきなり言った言葉でした。
今思うと、私が上京することが寂しかったのかもしれません。
そして、この父親の言葉は、その後も私の心に残り。
実際、その通りになりました。
高校卒業後、お盆休み等で実家に帰る事はありましたが、結局、一緒に暮らす事はありませんでした。
1980年。
昭和55年4月。
母親とともに、上京しました。
既にアパートは契約していたので、生活に必要なものを揃えてもらい、母親はすぐに名古屋に帰っていきました。
それから3日ほど。。。
当時は、自分の部屋に電話はありません。
もちろん、携帯電話なんてものもありません。
名古屋から私への連絡手段は、アパートの1階にあるピンク電話のみ。
このピンク電話に電話してもらって、呼び出してもらうしか方法がありません。
今考えると、とても不便な時代ですね。
のどかな時代とも言えます。。。
初めての東京暮らし。
初めての一人暮らし。
初めてづくしの東京生活がスタートしました。