大学と言えば、「学祭!」
成蹊大学も年に1回、学祭がありました。
当然、放送研究会もこれに参加します。
200人くらいが入れる大教室を借りて、教室全体を巨大なスタジオにしてしまって、そこで一日中、様々な音声番組を流したり、その教室のすぐ近くで、「模擬店」を出して、「ビール」や「おでん」「フランクフルト」を販売していました。
成蹊大学の学祭は「欅祭(けやきさい)」。
その昔、「俺たちの旅」というドラマがありました。
このドラマの中で、主人公たちが「欅並木」を歩くシーンがあるのですが、この撮影は成蹊大学の「欅並木」で撮影されたそうです。
それくらい成蹊大学の欅並木は有名で、地域の人たちや学生に親しまれています。
なので、学祭のことを「ケヤキ」と呼んでいました。
「ケヤキの準備をしなければ・・・」
「ケヤキが終わります・・・」
「ケヤキ」で、一番楽しかったのは準備期間中です。
通常は、21時にロックアウトされて学内に居続けることはできないのですが、「ケヤキ」準備期間の何日かは21時以降も学内に居続けることができます。
記憶では、「ケヤキ」本番の2?3日前からは、終日、学内にいることができました。
2日くらいは徹夜をしていたのではないか、と思います。
今、思い出しても大学生活で一番楽しかったのは、この準備期間中だった樣に思います。
逆に一番さびしいのは、本番の翌日。
後片付け。。。。。
「ケヤキ」ではキャンパス内に「屋外ステージ」が仕立てられます。
ここでは、主に学生バンドが出演したのですが、その進行役は代々我が放送研究会が務めました。
で、私もこのステージに立ちました。^^;
この頃は、人前で話すことに慣れてきていて、わりと平気でした。
楽しかった大学生活も終わりに近づき、いよいよ就活の時期がやってきました。
(我々の頃は、「リクルート」と言ってました)
大学4年生(5年目)の春から徐々にリクルート活動を開始しました。
当時は、今の樣に「インターネット」はもちろん、携帯電話もありません。
企業へのエントリーは、アパートに送られてくる「就職雑誌」の中からめぼしい企業をリストアップして「ハガキ」もしくは「封筒」を郵送していました。
企業からの返事は、電話か郵便。
当時は、かろうじて自分の部屋に電話をひいてましたが、「留守番電話」の機能もなく、「着信」が残る機能もなく、今思うとどんな風にして就職活動をしていたのか・・・・・
当時、一瞬だけではありましたが、「アナウンサー」を思った時もありました。
しかし、自分の周りにいたアナウンサー志望の先輩や同級生は、本当に凄い実力の持ち主で、とてもじゃないけど適わないと思ってました。
今思うと、アナウンサーになる事は、それほど望んでいなかったのだと思います。
この頃は、「コンピューター」の関係に進みたいと思っていました。
実は、中学生の頃から「コンピューター」というものに興味を持ってました。
私が中学生の頃は、昭和52年(1977年)頃。
当時は、「コンピューター」という単語が一般的ではなかった頃です。
私が興味を示していたのは、「マイクロコンピューター」。
むき出しの基盤の上に、テンキーと英数字が表示できる部品が8個並んでるだけのもの。
これを使って、何ができるかなんて考えもしませんでした。
とにかく、新しい何かができる!ぐらいにしか考えていませんでした。
しかし、当時のお金で数万円します。
とてもじゃないけど、中学生のお小遣いで買える金額ではありませんでした。
だから、「ブルーバックス」を読み漁っては、その可能性に旨を膨らませていました。
そして、大学生になり。
ようやく、今で言うところの「パーソナルコンピューター」が世の中に出始めてきました。
(当時は、まだ「マイコン」と言っていたと思います)
NECのPC-8001
富士通のFM-7 など等
Apple?が、出たのもこの頃です。
しかし、当時、アップルは高かった・・・
で、大学生の石井くんは、「PC-8001MK2」を購入しました。
このマイコンは、記憶装置がありませんでした。
いえ。
「ない」というのは語弊がありますネ。
記憶装置は、「カセットテープ」でした。
例えば、何かソフトを立ち上げる際には、その都度、カセットテープからデータを入れ込んでいかないといけません。
これがね。
時間がかかるんですよ。
ちょっとしたゲームソフトを走らせようと思ったら、それだけで30分くらい待たなければいけません。
このゲームソフトも、1本5,000円くらいしました。
高いですよね。
高かったんです。
確か、4年目の春だったと思います。
人生で2台目のパソコンを購入します。
これが、画期的だったのは、「フロッピー」を使えるマシンだったのです。
これで、ソフトを立ち上げるのに何十分も待つことがなくなりました。
ものの数秒でソフトが立ち上がります。
もうそれだけで、私にとっては画期的なマシンでした。
20歳の頃に、最初のパソコンを購入してから今日に至るまで、常に私の近くには「パソコン」がありました。
パソコン歴33年になります。(^_^)v