あずきプランニング

自分ストーリー 2015.9.13

3. 小学校の頃

昭和43年。小学生。

夏休み:小豆島にて(この頃はやせてます)

 

 

 

それまで近隣の大きな小学校の分校だったのが、この年、独立した小学校になりました。

 

 

その小学校の一期生として、入学。

 

 

1・2年は、杉村先生(女性)

 

3年は、木村先生(男性・ちょっとご年配)

 

4年は。。。。。あれ?覚えてない。。^^;

 

5・6年は、長瀬先生(男性)

 

 

でした。

 

 

小学校の頃の記憶は、「そろばん」です。

 

 

習字は、幼稚園の頃から、たしか、5年生くらいまで習ってたと思います。

 

そろばんは、1年生の1月から小学校を卒業するまで通っていました。

 

学区内にとても熱心に教えるそろばん塾があったのです。

 

 

そろばんは、私に合ってたようです。

 

毎日、そろばん塾に行くのが楽しくて仕方がありませんでした。

 

 

学年があがっていくうちに、「競技大会」に出るようになりました。

 

3年生か4年生頃から、競技大会に出るようになり、あちこちで賞を獲得し、その都度、トロフィーや盾を頂いて帰ってきました。

 

 

そろばん塾で記憶があるのは、夏の合宿。

 

愛知県の篠島に泊り込みで、そろばんの強化合宿。

 

そろばんの合間に、海に入ったり。

夜は花火をしたりと、この合宿は毎年楽しみでした。

 

 

合宿が終わると、今度は、「富山県高岡市」の大会へ。

 

この大会に出る時は、大会が終わった後、富山近県への旅行に連れってもらえることもあり、一番楽しみにしていた大会でした。

 

クロヨンダムや、白根山、草津温泉等に初めて行ったのもこの頃です。

 

 

そろばん塾の先生が、いわゆる「鉄チャン」。

 

愛読書は時刻表という先生で、この旅行では手配の全てをこの先生自ら行い、電車とバスを乗り継いでの旅は、本当に楽しかった思い出があります。

 

そろばん以外のいろんな楽しみがあったことも関係していると思いますが、この頃、本当に一生懸命、そろばんに取り組みました。

 

 

そうそう。

 

 

東京に初めて行ったのもこの頃です。

 

「国民珠算競技大会」という大会があって、この大会は全国規模の大きな大会で「一般の部」では「そろばん日本一」を競う大会でした。

 

この大会の予選大会が地区毎にあるのですが、私は、その小学生の部に3年連続して出場。

 

 

小学生は、全国大会に出ることはないのですが、地区大会で優秀な成績の上位10名を東京の全国大会で表彰する、という制度がありました。

 

幸いなことに、5年生と6年生の時にこの10人に選ばれ、表彰式に出席する為に東京へつれていってもらいました。

 

東京タワーに昇ったり、上野動物園に行ったり。。。

 

 

今、思うとそろばんの関係でいろいろな所に連れていってもらってますね。。。

 

 

5年生になった時です。

 

担任の先生が、野球部の顧問。

先生自身、教育大学で体育を専攻していたこともあり、体育会系の先生でした。

 

分校あがりの小さな小学校です。

 

1学年2クラスで、70人程度。

 

全校生徒合わせても、400人程度でした。

 

私がいたクラスの男子は、ほぼ全員が夏は野球部。

冬はサッカー部に属していました。

 

学校が終わった後は、そろばん塾があった私は、特に部活をしていなかったのですが、5年生になってしばらくして、ある事実に気がつきました。

 

私以外の男子は、全員が、野球部に入っていたのです。

 

 

さすがにこの状況はまずい。

 

あわてた私は、野球部に入部することに。。。

 

形だけの入部のつもりでしたが。。。

 

いざ野球部の練習に出ると、これが結構楽しくて。

 

割と一生懸命に練習に出ることになりました。

 

とは言っても、元来、運動が苦手な私は、レギュラーになれる訳もなく。

 

ベンチを温めて、一生懸命野次をとばしていました。

 

4年生の頃だったと思います。

 

ある冬の土曜日。

 

「吉本新喜劇」を見ようと急いで自宅に帰ると、母親から

 

「これからでかけるよ。」

 

と言われました。

 

吉本新喜劇を見ることができないことに腹を立てつつ、車ででかけることがわかるとはしゃぎ、行き先を聞いて、もう有頂天になってしまいました。

 

「スキーをしに行くヨ」

 

スキー

 

この時まで、自分がスキーを体験できるなんて、夢にも思ってませんでした。

 

スキーというものが、今ほど一般的になってなかった頃です。